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最近のエントリー
HOME > 佐々木塾ブログ > アーカイブ > 新着情報: 2017年12月
佐々木塾ブログ : 新着情報: 2017年12月
嬉しいメールが届きました(1)
最近立て続けに2通のメーが届きました。一通はこの塾に7~8年前に大学院受験のために通ってくれたAさんからでした。彼女が最初入塾を希望されてこちらにいらしたときはっきり言って迷いました。大学受験指導の経験は十分あったものの、大学院の指導は正直引き受けるかどうかと。
「指導というよりアドバイス的なことだけでいいのでぜひお願いしたい」という熱心さに負けて自信はないものの一緒に勉強すればいいという気持ちで引き受けました。彼女の専攻は美学だったので、アリストテレスの美学論,エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」のモンタージュ論などを探してきて英文で読みましたね。時には世阿弥の「風姿花伝」なんかもありました。懐かしい。私も美学についてはいっぱしの知識がついたものです。そして約半年一緒に勉強して希望の大学の修士課程に進まれました。
それから約8年「晴れて来週から短大で教鞭をとるようになりました。ひとえにこれは佐々木先生のおかげと感謝してここにご報告します」先日のメールにはこう書かれていた。これまでにもそ卒業生が卒業した・就職したなど、うれしい知らせがありましたが、このメールもそれらに劣らず感涙ものだった。こういう仕事をしていなければあり得ない体験なのだとこの仕事に感謝しています。
さらなるAさんを生むためにさらに努力しようと誓ったものでした。
「指導というよりアドバイス的なことだけでいいのでぜひお願いしたい」という熱心さに負けて自信はないものの一緒に勉強すればいいという気持ちで引き受けました。彼女の専攻は美学だったので、アリストテレスの美学論,エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」のモンタージュ論などを探してきて英文で読みましたね。時には世阿弥の「風姿花伝」なんかもありました。懐かしい。私も美学についてはいっぱしの知識がついたものです。そして約半年一緒に勉強して希望の大学の修士課程に進まれました。
それから約8年「晴れて来週から短大で教鞭をとるようになりました。ひとえにこれは佐々木先生のおかげと感謝してここにご報告します」先日のメールにはこう書かれていた。これまでにもそ卒業生が卒業した・就職したなど、うれしい知らせがありましたが、このメールもそれらに劣らず感涙ものだった。こういう仕事をしていなければあり得ない体験なのだとこの仕事に感謝しています。
さらなるAさんを生むためにさらに努力しようと誓ったものでした。
朝のヨット
先日、生徒と、山川方夫の「朝のヨット」という短編を読むこととなった。山川方夫、実は一度も読んだことがなかった。ただ三田文学の創刊者で、曽野綾子・江藤淳などを見出した人。芥川賞候補に何度もなった人。国道一号線大磯でトラックにひかれ、34歳で夭折した人。という予備知識はあった。
さてその作品。「朝のヨット」について。最近まったく読んだことのないような類の小説である。私などはすでに失っている感性というか,みずみずしいというか久しく忘れていたものを思い起こさせてくれた小説である。
あらすじを少し。愛し合う少年と少女。少女と一緒にいると、もう一人の自分がひどく遠いところに置き去りにされるように思い、自分をとり戻すために一緒に行きたいという少女を振り切ってヨットで海に出る。「女にはわからないさ」「君を好きだよ」の言葉を残し。しかし少年は急変した天候により海に消えてしまう。
翌日海は嘘のように凪いでいた。ヨットに乗った少女は昨日から幾百回となく繰り返した言葉を唇に浮かべる。「…なぜなの?なぜ一人きりになりにいかなくちゃならなかったの?」と。「一人きりにしがみつき、私よりも自分の孤独さの確認を愛しているみたいに」「私の中にあなたはいて、あなたの中に私はいてどこへ行っても一人きりなんてなれないのに」そう思う少女の頭上を鴎が翔んでいる。その鴎こそ少年なのだ。鴎はただ少女にただ自分だけの充実を追った幼い恋人であったことを告げたかった。しかしいつの間にか飛翔の意味も孤独のさわやかさも、愛することの恐怖も屈辱も喜びも忘れ、透明な朝の風の中で猫に似た単調な鳴き声を繰り返し無心に翼の抑揚を続けるのだった。
さてその作品。「朝のヨット」について。最近まったく読んだことのないような類の小説である。私などはすでに失っている感性というか,みずみずしいというか久しく忘れていたものを思い起こさせてくれた小説である。
あらすじを少し。愛し合う少年と少女。少女と一緒にいると、もう一人の自分がひどく遠いところに置き去りにされるように思い、自分をとり戻すために一緒に行きたいという少女を振り切ってヨットで海に出る。「女にはわからないさ」「君を好きだよ」の言葉を残し。しかし少年は急変した天候により海に消えてしまう。
翌日海は嘘のように凪いでいた。ヨットに乗った少女は昨日から幾百回となく繰り返した言葉を唇に浮かべる。「…なぜなの?なぜ一人きりになりにいかなくちゃならなかったの?」と。「一人きりにしがみつき、私よりも自分の孤独さの確認を愛しているみたいに」「私の中にあなたはいて、あなたの中に私はいてどこへ行っても一人きりなんてなれないのに」そう思う少女の頭上を鴎が翔んでいる。その鴎こそ少年なのだ。鴎はただ少女にただ自分だけの充実を追った幼い恋人であったことを告げたかった。しかしいつの間にか飛翔の意味も孤独のさわやかさも、愛することの恐怖も屈辱も喜びも忘れ、透明な朝の風の中で猫に似た単調な鳴き声を繰り返し無心に翼の抑揚を続けるのだった。
書くということ
昨日うれしいメールをいただいた。「佐々木塾ブログを読ませてもらっている。私にはとてもヒットしてます」という内容だった。読者の存在が顕在化することのない性質のブログなので、そういう方の存在はとても励みになる。現にさぼり勝ちのブログを今日はこうしていそいそとして書いている。
私にとって不思議なのは、仕事の都合上よく過去問を入手し試験対策を行っている。その過去問集には過去5年分なりが掲載されているわけである。するとたいがい「本書、〇〇大学の入試問題につきまして、まことに申し訳ありませんが、以下の問題は著作権上の問題により掲載することができません」ということがよくある。
著者は何のために書いているのだろう?「書くことを仕事としているのに人に読まれることを拒むのはなぜ?」と素朴な疑問がわいてくる。二次的な掲載のものではなく原典で(つまり本屋で買って)読んでほしいとかいろいろ弁解はありそうだが、こういうことを仕事としている以上人に読んでもらってなんぼなのだと考えるが、違うのだろうか?どんな形であれ人に読んでもらって、世の中に流通してこそ自分の存在を知ってもらえるのでは?
人のことはともあれ佐々木塾ブログ週1回くらいのペースで書いていきたいものである。まさかこの駄文を引用して他に掲載したいという人はいないだろうが、転送掲載はご自由に。
私にとって不思議なのは、仕事の都合上よく過去問を入手し試験対策を行っている。その過去問集には過去5年分なりが掲載されているわけである。するとたいがい「本書、〇〇大学の入試問題につきまして、まことに申し訳ありませんが、以下の問題は著作権上の問題により掲載することができません」ということがよくある。
著者は何のために書いているのだろう?「書くことを仕事としているのに人に読まれることを拒むのはなぜ?」と素朴な疑問がわいてくる。二次的な掲載のものではなく原典で(つまり本屋で買って)読んでほしいとかいろいろ弁解はありそうだが、こういうことを仕事としている以上人に読んでもらってなんぼなのだと考えるが、違うのだろうか?どんな形であれ人に読んでもらって、世の中に流通してこそ自分の存在を知ってもらえるのでは?
人のことはともあれ佐々木塾ブログ週1回くらいのペースで書いていきたいものである。まさかこの駄文を引用して他に掲載したいという人はいないだろうが、転送掲載はご自由に。
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