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HOME > 佐々木塾ブログ > アーカイブ > 新着情報: 2019年1月
佐々木塾ブログ : 新着情報: 2019年1月
叱るということ
宿題をやってこない。授業中ボーとしている...。そんな時教師側としてはそれを看過するわけにはいかない。だがどう対処すべきか?叱ればいい。正論である。ただその叱り方が難しい。今回は叱るということについて考えたい。
最近入塾した生徒が小学生の時に通っていた塾のことについて話してくれた。その塾では宿題を忘れたり、勝手におしゃべりすると叩くそうだ。それもこつんという可愛いらしいものでなく結構本格的らしい。男女の区別もないようだ。この時代に親は黙っていないだろうと聞くと、そこそこの実績があるから親は見て見ぬふりだとか。逆に悪いのを気づかせてくれたと言って親からも叱られる始末。叩かれても親にも言わなくなる仕組みになっている。こんなことが日常化している暴力塾。(あえてそう呼ばせていただく)同業者とはいえ情けないの一言だ。叱るときに叩く必要があるのか。それがどんなに間違っているかを検証してみたい。
ラグビー日本代表として活躍し,2016年に53歳の若さで亡くなった平尾誠二さんが残した叱るときの4つの心得を、親友でノーベル賞受賞者の山中伸弥博士が平尾さんを偲ぶ会で行ったスピーチで紹介した。(1)プレー(行動)は叱っても人格は責めない。(2)あとで必ずフォローする。(3)他人と比較しない。(4)長時間叱らない 山中伸弥博士はこのスピーチの最後に、「君のようなリーダーと一緒にプレーでき、一緒に働けた仲間は本当に幸せです」と結んだそうだ。
これを暴力塾に当てはめると(1)宿題を忘れたという行動は叱られるに値する。しかし暴力行為でこれを諫めることは叱るのではなく感情的な非難になるだけだ (2)あとでフォローするは行われたかどうか検証のしようがないが。もし行っているとすればその子を認めているんだよということを知らせるのではなく単なる自分の暴力行為の罪滅ぼしにしかなっていないと思う。 (3)人前でたたくということは他人と比較していることの証拠に他ならない。君たちはやってきたから叩かれないんだよ。忘れたら同じことになるからねという見せしめになっている。 (4)叱る時間の長短はわからないが、叩くという行為は言葉を省略することなので、時間は短かったはずである。もし暴力塾が抗弁するとこう言うしれない。「だらだらお説教を垂れるより一発カーンとやってさっさと授業に入る時間の節約ですよ」
他塾の批判ははこれくらいにして自分について考えたい。自分は果たしてこの4つの心得を守れているだろうか?(1)は意識はしているが、結構感情的になってしまうこともあるので叱るではなく怒るになっているときもあるかもしれない。(2)は守られていない。フォローの仕方によっては単なるご機嫌取りになってしまうし、「だったら最初から言うなよ」と突っ込まれそうな気もする。(3)他人との比較もよくやっている。例えばその子の姉を知っている場合など「お姉ちゃんは…」的なことを言いがちである。(4)どのくらいの時間だと長時間にあたるのかしかれれている子のとらえ方次第というところもあると思う。かくも叱るとは難しいんである。(続く)
最近入塾した生徒が小学生の時に通っていた塾のことについて話してくれた。その塾では宿題を忘れたり、勝手におしゃべりすると叩くそうだ。それもこつんという可愛いらしいものでなく結構本格的らしい。男女の区別もないようだ。この時代に親は黙っていないだろうと聞くと、そこそこの実績があるから親は見て見ぬふりだとか。逆に悪いのを気づかせてくれたと言って親からも叱られる始末。叩かれても親にも言わなくなる仕組みになっている。こんなことが日常化している暴力塾。(あえてそう呼ばせていただく)同業者とはいえ情けないの一言だ。叱るときに叩く必要があるのか。それがどんなに間違っているかを検証してみたい。
ラグビー日本代表として活躍し,2016年に53歳の若さで亡くなった平尾誠二さんが残した叱るときの4つの心得を、親友でノーベル賞受賞者の山中伸弥博士が平尾さんを偲ぶ会で行ったスピーチで紹介した。(1)プレー(行動)は叱っても人格は責めない。(2)あとで必ずフォローする。(3)他人と比較しない。(4)長時間叱らない 山中伸弥博士はこのスピーチの最後に、「君のようなリーダーと一緒にプレーでき、一緒に働けた仲間は本当に幸せです」と結んだそうだ。
これを暴力塾に当てはめると(1)宿題を忘れたという行動は叱られるに値する。しかし暴力行為でこれを諫めることは叱るのではなく感情的な非難になるだけだ (2)あとでフォローするは行われたかどうか検証のしようがないが。もし行っているとすればその子を認めているんだよということを知らせるのではなく単なる自分の暴力行為の罪滅ぼしにしかなっていないと思う。 (3)人前でたたくということは他人と比較していることの証拠に他ならない。君たちはやってきたから叩かれないんだよ。忘れたら同じことになるからねという見せしめになっている。 (4)叱る時間の長短はわからないが、叩くという行為は言葉を省略することなので、時間は短かったはずである。もし暴力塾が抗弁するとこう言うしれない。「だらだらお説教を垂れるより一発カーンとやってさっさと授業に入る時間の節約ですよ」
他塾の批判ははこれくらいにして自分について考えたい。自分は果たしてこの4つの心得を守れているだろうか?(1)は意識はしているが、結構感情的になってしまうこともあるので叱るではなく怒るになっているときもあるかもしれない。(2)は守られていない。フォローの仕方によっては単なるご機嫌取りになってしまうし、「だったら最初から言うなよ」と突っ込まれそうな気もする。(3)他人との比較もよくやっている。例えばその子の姉を知っている場合など「お姉ちゃんは…」的なことを言いがちである。(4)どのくらいの時間だと長時間にあたるのかしかれれている子のとらえ方次第というところもあると思う。かくも叱るとは難しいんである。(続く)
寒中見舞い申し上げます
寒中見舞い申し上げます。このブログをご覧の方々今年もよろしくお願いします。
今年も冬期講習が終わりました。今年は高3生浪人生が多いので学校の休みとは無関係に1月12日まで講習を行いました。センターがあと1週間後になりました。佐々木塾生の健闘を心より応援します。
今年は結婚して初めて(妊娠時は除き)妻と年末、年始ともに過ごすことができた。さらに長男が京都から帰ってきて、3人で長女の新居を訪れたりと久しぶりに家族4人が集う賑々しいお正月となった。子供たちが家を出てからは一人で年末年始のどちらかを過ごすことが多く「クリぼっち」ならぬ「正ボッチ」で少々寂しい思いをしていたので今年の正月は格別。やはり家族はいいものと再認識できた。念頭に思うことを少々書こうと思う。
まず報告したいことは去年自転車走行距離が2年連続の一万㌔越えだったこと。自転車に本格的に乗り出して20年1万越えは去年を含め6回そう若くない体で1万越えは立派だと自画自賛したい気持ちだ。今年も1k万キロ越えを目指し自転車に励む所存。何しろこれが自分の若さ健康の源だと思っているので止まったら自転車だけにこけそうだ。死ぬまでもう止められないのかも。
さて今年は来年のオリンピックに備えて英語をブラシュアップしたい。英語は使わないとさび付いてどうにもならなくなってしまうのでは若かりしときを思い出してがむしゃらに励みたい。思えば20代後半英検に合格するために英語漬けの日々を送ったものだ。誰かに習ったのではなく、FEN(Far East Network・極東にいるアメリカ軍人及び家族向けのラジオ放送)を聞きまくった。集中するため部屋を暗くしていたので誰かに見られたら危ない青年とみられただろう。今回もFENを聞こうと探したらAENと名称変更されたようである。聞いてみると昔と同じ音楽とニュースが多いのが特徴だったが変わっていないようだ。
自転車に加えもう一つ登山、百名山の半分も登っていないが百名山をさらに踏破したい。今年狙っているのは巻機山・苗場山・平ケ岳などの上信越の山々である。秩父・多摩・南関東の山々は大体踏破したので今度は上信越に足を延ばしたい。新幹線で行けば日帰りも可能とずいぶん登山も楽に行けるようになったものだ。山は自転車とは違う自分と向き合う時間が長い。自転車は刻々と周りが変化するので自分に浸ることがなかなかできないが、登山はほとんど景色が変わらないので考え事ができる、それはなぜか山で考え事をするとポジティブになれるのだ。下界のことが些末で矮小に見えてくるのだ。落ち込んだ時など山に行って一人になればおよそのことは解決できる。また山は大勢で行くのも楽しい。年に2回ほど大学の仲間と山に登っているがこれも長く続いている。今年も二山行く予定だ。
以上は今年念頭にあたって思ったこと、自分に約束したことだ。もちろん塾は私の天職なので譲るわけにいかない。来てくれている生徒一人一人と真摯に向き合っていくことは今年も変わらない。
今年も冬期講習が終わりました。今年は高3生浪人生が多いので学校の休みとは無関係に1月12日まで講習を行いました。センターがあと1週間後になりました。佐々木塾生の健闘を心より応援します。
今年は結婚して初めて(妊娠時は除き)妻と年末、年始ともに過ごすことができた。さらに長男が京都から帰ってきて、3人で長女の新居を訪れたりと久しぶりに家族4人が集う賑々しいお正月となった。子供たちが家を出てからは一人で年末年始のどちらかを過ごすことが多く「クリぼっち」ならぬ「正ボッチ」で少々寂しい思いをしていたので今年の正月は格別。やはり家族はいいものと再認識できた。念頭に思うことを少々書こうと思う。
まず報告したいことは去年自転車走行距離が2年連続の一万㌔越えだったこと。自転車に本格的に乗り出して20年1万越えは去年を含め6回そう若くない体で1万越えは立派だと自画自賛したい気持ちだ。今年も1k万キロ越えを目指し自転車に励む所存。何しろこれが自分の若さ健康の源だと思っているので止まったら自転車だけにこけそうだ。死ぬまでもう止められないのかも。
さて今年は来年のオリンピックに備えて英語をブラシュアップしたい。英語は使わないとさび付いてどうにもならなくなってしまうのでは若かりしときを思い出してがむしゃらに励みたい。思えば20代後半英検に合格するために英語漬けの日々を送ったものだ。誰かに習ったのではなく、FEN(Far East Network・極東にいるアメリカ軍人及び家族向けのラジオ放送)を聞きまくった。集中するため部屋を暗くしていたので誰かに見られたら危ない青年とみられただろう。今回もFENを聞こうと探したらAENと名称変更されたようである。聞いてみると昔と同じ音楽とニュースが多いのが特徴だったが変わっていないようだ。
自転車に加えもう一つ登山、百名山の半分も登っていないが百名山をさらに踏破したい。今年狙っているのは巻機山・苗場山・平ケ岳などの上信越の山々である。秩父・多摩・南関東の山々は大体踏破したので今度は上信越に足を延ばしたい。新幹線で行けば日帰りも可能とずいぶん登山も楽に行けるようになったものだ。山は自転車とは違う自分と向き合う時間が長い。自転車は刻々と周りが変化するので自分に浸ることがなかなかできないが、登山はほとんど景色が変わらないので考え事ができる、それはなぜか山で考え事をするとポジティブになれるのだ。下界のことが些末で矮小に見えてくるのだ。落ち込んだ時など山に行って一人になればおよそのことは解決できる。また山は大勢で行くのも楽しい。年に2回ほど大学の仲間と山に登っているがこれも長く続いている。今年も二山行く予定だ。
以上は今年念頭にあたって思ったこと、自分に約束したことだ。もちろん塾は私の天職なので譲るわけにいかない。来てくれている生徒一人一人と真摯に向き合っていくことは今年も変わらない。
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