佐々木塾ブログ

合格報告届きました。そして...(2)

 今回は塾をやっているいる以上どうしても避けて通れない問題…不合格について考えたい。その前に引用したい文章がある。

 ”失敗してもいいからやってみよう”という失敗と、”絶対成功させてやる!”という気持ちのもとでの失敗は、全く別物だと思います。後者の失敗では大きなショックを味わいますが、そこから学ぶことは非常に大きいのです。西畠背順「教えてくれたのは植物でした」


 この引用の後者の場合、実は成功するよりも実りがあったのではとさえ私は思っている。これはあくまで死に物狂いで勉強して誰にもも後ろ指をさされない勉強をしてきたものだけに言えることではあるが。話を当塾の生徒C君に戻したい。彼はW中学を本命に置き、T中を抑えに今年の入試に臨んだ。W中学は2/1と2/3、T中は2/2に入試があった。W中学は当落線上で、T中は模試でも合格可能生が高いところにあった。2/1のW中学がだめで、さらに2/2のT中がだめとわかったとき、C君は大粒の涙を流したということだ。そして動揺したままW 中の2回目を受けそれも玉砕。結局今回の受験は0勝3敗という結果に終わってしまった。

 この経緯を知って私が思ったことは、あれだけ真面目に佐々木塾の授業を受けてくれ、宿題や課題など黙々とこなしてくれた可哀想だということだった。神も仏もいないのか。塾講師にあってはならぬ神頼み的なことまで考えてしまった。


 しかし冷静に考えたときこれは可哀想でも気の毒でも何でもない。C君にとってまたとない経験ができたのだと考えるようになった。これはC君がT中学を落ちたことを知ったとき大粒の涙を流したということがすべてを語ってくれる。私たちは”絶対に受かってやる”という思いからことを始めることがあるだろうか?案外落ちた時の予防をあらかじめ作って置いて、落ちた時のショックを和らげる策を講じたりしていないだろうか?そう大粒の涙が出てきたのは”絶対受かってやる”という気持ちが裏切られたからで人としてあまり体験しない種類のショックであると思う。

 後のないところまで自分を追い詰めて、その願いが報われなかったとき見える景色はどんなものだろう。そんなことを経験したことがない人にとっては「絶望の真っ暗闇」というかもしれない。でも本当は意外とぼんやりとではあるがうす暗い光が見えるのではないだろうか?全力を出し切った清々しさと次が与えられるなら今度こそという確かな決意。それが光となって見える気がする。だから「不合格」ということはこれで終わりなのではなく、次衛のステップと置き換えらるのかもしれない。歌の歌詞のような結論になってしまったが、「不合格」も決して気休めでなく悪くない経験だと思う。


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